チョコレートプラネット
メンバー | 誕生日 | 出身地 | 身長 | ポジション |
長田 庄平 | 1980年1月28日 | 京都府 | 168cm | ボケ |
松尾 駿 | 1982年8月18日 | 神奈川県 | 169cm | ツッコミ |
結成年 2006年
所属事務所 吉本興業(公式サイト)
主な受賞歴 キングオブコント準優勝(2014年)、決勝3位(2018年)
ネタの動画
経歴
チョコレートプラネットは、ボケ担当の長田とツッコミ担当の松尾のお笑いコンビ。2006年結成で、吉本興業所属。
ボケの長田は、1980年生まれで京都府京都市出身。ネタ作りを担当し、自身がツッコミを行うネタもある。
小中高大学と京都。大学は嵯峨美術短期大学で、ネタで使用する小道具や衣装も製作し、オリジナルTシャツやジーンズも作っている。
陶芸が趣味で、芸人になる前は地元の清水寺の参道にある陶芸教室で講師として働いていた。
実家が町工場で、職場も素敵な環境と、京都でゆったり過ごしていたものの、「このままだと人生が面白くないな」と思い、あえて不安定な世界に行きたいと思ったことから吉本の養成所に。
PR
そのためNSCも気楽な気持ちで通い、「正直こんなにお笑い芸人を続けるとは思っていなかった」と語る。
ツッコミの松尾は、1982年生まれで神奈川県箱根町出身。
松尾の通っていた小学校は箱根町立温泉小学校(現在は箱根の森小学校)という変わった名前の学校で、校内に温泉があり、入浴の授業もあった。
入浴の授業の際、全裸で笑いをとったことで「お笑い」を意識するように。
高校時代にはヘビメタバンドでギターやボーカルを担当。高校卒業後は放送関係の専門学校に入学し、小田原の「お好み焼き 道とん堀」でアルバイトをする。
2003年にダンボール工場で働く。
松尾がお笑いを目指したきっかけは妹の言葉。ダンボール工場で朝から晩まで働いていたとき、ある日、妹に「お兄ちゃん、目が死んでる」と言われ、このままでは目だけでなく心まで死んでしまうかもしれない、と昔好きだったお笑いを目指す。
ダンボール工場を辞め、一年間ユニクロで働いてお金を貯めてから養成所に入る。
二人が出会ったのは吉本の養成所NSC。最初は別々のコンビやトリオで活動していた長田と松尾だが、2006年にチョコレートプラネットを結成する。
2008年にはキングオブコントで決勝に進出する。コントはもちろん、モノマネやリズムネタなど引き出しも多い。
パンサー向井、シソンヌ、ハライチ、エド・はるみなどが同期。シソンヌのことは特にライバル視し、ネタが面白く憧れも嫉妬もあると言う。
コンビ名の由来
チョコレートプラネットのコンビ名の由来は、略されると売れたような気がするので長い名前をつけたかった、とインタビューで語っている(「チョコプラ」という略称が定着)。
チョコレートプラネットという言葉自体には特に意味はないと言う。
結成のきっかけ
NSCの同期でクラスも一緒だった長田と松尾だが、最初は決して仲良しだったわけではなく、松尾は長田のことが嫌いだったと言う。
松尾曰く、「授業中に〈盛り上げていこうや!〉みたいに騒いで、つまらない関西人の典型みたいな振る舞いをしていた」。松尾のほうは友達がいなかった。
お互い別々のコンビやトリオで活動していたが、一緒に授業を受けているうちに松尾も長田のことを「面白い」と思うようになる。
ちょうど二人とも解散して一人だった時期に、松尾はシソンヌという同期のコンビから、「長田くんと組んでみたらいいじゃん」と勧められ、長田を誘う。
長田も、松尾のことを当初は見た目が「可愛くない」から人気も出ないのではないかと思っていたが、笑いの力を優先。
2006年にお笑いコンビチョコレートプラネットを結成する。
舞台の合間にご飯に行ったり一緒にバイクのツーリングをするなど、コンビ仲は良いものの、仲が良すぎるのか、ネタ作りで二人が「これ面白い」と盛り上がったネタが単独ライブでさえ受けないことも。
芸風
チョコプラのネタは、小道具を駆使した演劇風のコントが主体。ツッコミが不在のまま進むコントもある。
漫才も行い、漫才では松尾がボケ、長田がツッコミを担当。M-1グランプリ2018では準々決勝に進出している。
その他、TT兄弟のようなリズムネタからIKKOや和泉元彌といった多種多様なものまねまで多彩なネタで人気を得る。
SNS
長田(@ChocoplaOsada)
松尾(@chocopla_matsuo)
長田(@osadashouhei)
松尾(@matsuoshun)