フットボールアワー結成秘話
お笑いコンビ、フットボールアワーの後藤と岩尾は、もともとは別のコンビで活動していた。
後藤は、1994年、吉本養成所NSCの同期だった天満国男と「後藤・天満」というコンビ(のちにエレキグラムに改名)を組み、当時は後藤がボケとして活動。結局コンビは色々とうまくいかず、1999年3月に解散する。
エレキグラムの解散理由として、後藤本人はキングコング梶原のYouTube番組にゲスト出演した際、次のようにコメントしている。
ちょっと無理っぽいなあと思ったら、相方のほうが先言ってくれたんやったかなあ。ちょっと話あんねんけど言うたら「わかったわかった」という感じだった覚えがある。
天満も(ちょっと無理だというのが)あったと思う。俺が執拗なダメ出しするから、もう語尾の強弱だけで怒ってたから。
駆け出しの頃ってやっぱそんなんやったりするやん。それ(細かいミス)のせいにしたりもするやん。
仕事で売れるのも難しく、若い頃でピリピリとした空気もあって結局解散に至ったようだ。
エレキグラムを解散したら、後藤自身もお笑い芸人を引退し、構成作家になろうかなと思っていた頃、もともと養成所の同期でエリートだった岩尾と相方の金重のコンビ「ドレス」など、いくつかのコンビと一緒に集団コントを結成した。
そのネタ作りの際、それまでほとんど岩尾と付き合いはなかったものの頻繁に会うようになり、後藤が「エレキグラムを解散するねん」と言おうとした日、ちょうど岩尾も「ドレスを解散すんねん」と告げ、驚いた後藤が「実は俺も」と告白する。
ドレスの解散については、コンビ間の不仲や相方がお笑いの世界で太刀打ちができないと思ったことなどが理由にあったようで、岩尾も芸人を引退しようと思うと話すと、後藤が「もったいない、もったいない」と引き止め、岩尾は「引退するか、作家になろうかな」と言いながら、「一緒にネタ作れたらいいなあ」とぽつり。
後日、また複数コンビで集まった際、駅までの帰り道、二人で歩きながら、どちらともなく、「二人でやるってのもなあ」。
岩尾は、「うん、まあ、ないことはないけどなあ」と言い、二人は目を合わすことなく帰っていった。
PR
それから一ヶ月ほど、付かず離れずの関係が続き、最後は後藤の「一緒に組めへんか」という直球の告白に、「まあ、別にええけど」と岩尾が答え、フットボールアワーが結成される。1999年4月のことだった。
元相方の現在
ちなみに、後藤と岩尾のそれぞれの元相方の現在はどうなっているのだろうか。
フット後藤の元相方である天満は、現在芸能界を引退し、実家の水道屋さんで働いていると言う。
一方、岩尾と一緒にドレスを組んでいた元相方の金重高志は、解散後芸人を引退し、現在はカネシゲタカシ名義で漫画家やイラストレーターとして活動中。『野球大喜利シリーズ』など本も出版している。
奥さんで芸術家のたんたんとテクノカットスタジオという制作スタジオを立ち上げ、カネシゲのツイッターのフォロワー数も6000人と人気の作家のようだ(カネシゲタカシ Twitter)。
以前、芸人のセカンドキャリアを取り上げた番組でカネシゲを特集。
週刊少年ジャンプにも掲載された実績があり、年収も芸人の頃と比較して数十倍になっていると言う。
都内の一等地にマンションを購入したそうで、芸人引退後もそのセンスを活かし、漫画やイラストレーターとしてセカンドキャリアを築いていくことができたようだ。