霜降りせいやといじめ
若手漫才コンビ霜降り明星のせいやは、子供の頃のクリスマスのプレゼントに「M-1グランプリのDVD」をお願いするほどの「お笑い少年」だった。
せいやは、漫才(「中島ミート」としてテレビ出演もしている)やモノマネを披露するなど小・中学生時代は人気者で、中学生の頃にはサッカー部のキャプテンも任されていた。
小学生の頃にせいやが組んでいた漫才コンビ「中島ミート」
しかし、人気者だったせいやが、高校に入ってすぐ、その後の高校生活を左右する出来事に見舞われることになる。
高校の入学式からまもなく、教室でクラスの明るいメンバーたちがごみ箱に向かってごみをシュートのように放り投げ、その一つがごみ箱から外れた。
その外れたごみをせいやが見て、「よし、ここで仲良くなろう」と思いっきりボケをかます。
「リバウンドォォォ!!」
「誰か取りに行け!!!」
せいや渾身のボケに、教室の誰一人笑うことなく、寒々しい空気が流れた。
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そして、翌朝せいやが高校に行くと、さっそく机が逆になっていた。そのときもせいやは、「さてさて、勉強しようかな、ってできるかぁ!」とノリツッコミで返す。
しかし、そのボケもまたシーンと静まり、何かが飛んできたと思ったら、南京錠だった。すかさず「俺家ちゃうねん!!」とせいやがツッコミで返したが、誰も笑わず、そして、このとき以来、“あいつを懲らしめる会”のようなものができ、彼らからのいじめが始まったと言う。
決していじめに屈することのなかったせいやは、その都度リアクションを取り、笑いで跳ね返そうとした。
次第にいじめの内容はエスカレートし、あるときは掃除箱に閉じ込められたまま授業を受けられなかったこともあった。
一時間後に掃除箱から出されたときも、せいやはおどけて返し、顔を引きつらせながら、「なにしてんねん」と突っ込んだ。
せいやは、誰にも相談できず、子供は学校で楽しんでいると信じている親に、いじめのことを話すことは到底できなかった。
自分で「いじめ」だと認めたら、いよいよいじめになってしまうと思ったせいやは、「いじられすぎているだけ」と思うようにした。
肩を殴られ、あざがたくさんできることもあったが、家では母親にあざが見つからないように注意しながらお風呂に入った。
弁当は勝手に食べられ、米だけが残され、彼らは爆笑した。その際も、「おかずとお米、普通は5:5やろ」とせいやはツッコミで返し、「笑い」に変えようとした。
休憩時間は、暗い階段で隠れるようにして過ごし、ずっと一人でネタを考えていた。
自分自身ではまだ大丈夫と思っていても、体がストレスに反応し、ついに髪が抜け、禿げ出した。その禿げも徐々に悪化し、医者にも重度だと診断されるほどだった。
それでもせいやへのいじめは収まらず、高校では、その禿げた形から、『ドラゴンボール』に出てくる「フリーザ」と呼ばれ、「フリーザ、フリーザ、フリーザ」と馬鹿にするように囃し立てられた。
そのたびにせいやは、フリーザのモノマネをして、「ころしますよ、ころしますよ、ころしますよ」とボケを続けた。
母親からは、「転校して」と懇願されるも、せいやは高校に通い続けた。
なぜ高校を中退したり、転校するといった選択を取らなかったのか。あくまでこれは自分の経験、自分の話とした上で、「負けたくなかった」というのが大きな理由だったとせいやは言う。
とにかく負けたくなかったんですよ。僕の経験だけで言えば、僕はほんまに負けず嫌いやった。なんでこいつらに、人生変えられなあかんねんって。
なんやったら、髪の毛も抜け出して。ストレスでハゲてきたんですよ。それくらいから、もう開き直りましたね。絶対にこいつら笑かしたんねんって。いじめって断定されてたまるかって。
(中略)
ここで休んだら、こいつらのいじめで学校休んだやつみたいになるから、それだけは絶対嫌やったんですよ。こんなやつらに負けるかっていうので、とにかくずっと、ギャグで返してましたね。
でもまあ、笑いではね返すというよりは、こいつらに人生変えられてたまるかっていう、むかつきでしたね。それに、おもしろいことが好きやったし。僕の経験だけで言えば、そういうことです。
しかし、あるとき、辛いいじめの日々が一変する出来事が起こった。
いじめグループに、文化祭のクラスの出し物はせいやが一人で作れ、といじめの一貫で押し付けられた際、これまでもネタ作りを行なってきたことから自信があったせいやは、一晩で傑作コントのネタを仕上げてきた。
コント劇のタイトルは、『リアル桃太郎』。
内容は、おばあさんが拾ってきた桃を切って開けるが、おじいさんが開ける瞬間を見ていなかったことから、「その子、誰の子やねん!」「桃から生まれるわけないやろ!」と疑い、おばあさんも「いや、わけわからんねん」とパニックになる、という設定のコント。
せいやが必死に一人芝居をしながらネタについて順序立てて説明すると、面白い、こいつこんなやつやったんか、と沸き、実際に文化祭の演目として発表されることになった。
脚本、演出、主役の他、照明や音響もせいや自身が指示し、この『リアル桃太郎』によって聴衆も爆笑。見事学校で一番の賞を受賞した。
せいやの名字である「石川」のコールが起き、壇上でせいやが「僕、イジメを笑いで跳ね返しました!!」と叫ぶと、体育館中が拍手喝采をした。
以降、全てではなかったものの、いじめは収まり、せいやへの見方が一変した。「人生の分岐点だった」とせいやは言う。
この高校時代のいじめのエピソードは、M-1優勝後に脚光を浴び、テレビでも再現VTRが放送されるなど大きな感動を呼んだ。
ただし、せいや自身は、この話はこれまでも笑い話として語ってきたし、感動話にはあまりしたくないと言う。
また、自分はもっとひどい、お前はたまたまだ、と今まさにいじめに苦しんでいる人たちに言われるかもしれないし、押し付けるつもりも全くないんです、とラジオで発言。
ツイッターでも、次のようにコメントを発表している。
スカッとジャパンでいじめのことを再現してもらってるんですが、テーマがテーマなので放送中言えなかった想いを綴ります。
ラジオでも、あのとき自分は乗り越えたと言ったが、ほんとうは誤魔化していただけ、と語り、いじめの経験者ゆえの繊細な配慮も反響を呼んだ。
霜降り明星の冠番組『霜降りバラエティ』で、せいやと粗品の二人が東京タワーの階段を登りながら自分たちの歩みを振り返る、という企画があった。
高校時代にいじめに遭っていた自分に向けて叫ぼう、と粗品がせいやに振ると、「ボケと真面目なのどっち?」とせいやが尋ねた。
粗品が、「真面目なほう」と言うと、せいやは、東京の夜景に向かって叫んだ。
明るく振舞って、ギャグとか全部返して、頭禿げるくらいギリギリで、影で泣いていた俺、今全部エピソードトークにしてるからなぁぁぁ!!!