元ひきこもりのお笑い芸人たち
今は多くのひとを笑わせる立場に立っているお笑い芸人たちのなかには、子供の頃、笑えなかった日々を送っていた芸人もいる。
元ひきこもりの芸人たち。
もしかしたら笑えなかった日々を知っているからこそ、笑うことの尊さもいっそうわかっているのかもしれない。
この記事では、お笑い芸人のなかで学生時代にひきこもりだった芸人たちの経緯やメッセージを紹介したいと思う。
千原ジュニア(千原兄弟)
お笑いコンビ千原兄弟の弟、千原ジュニアは中学時代にひきこもりを経験した。
幼い頃、絵を描いたら、「太陽は紫じゃない」と注意されるなど、なぜ自分はみんなと同じ道を歩けないのだろう、と悩んだと言う千原ジュニア。
私立中学入学後の自由のない空気に耐えられず、居場所がないと感じた千原ジュニアはやがて不登校になった。
家にいるときは、テレビを観たり、本を読んだり、壁に他人の理解できないような絵を描いた。
当時の支えは、祖母の言葉だった。祖母は、「みんなと違っていいんだよ」ということを、様々な角度から言ってくれた。
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ジュニアが外に出るきっかけとなったのは、相方で4つ上の兄せいじ。千原ジュニアが15歳の頃、すでに吉本に入っていたせいじが、「相方がいいひんから」とジュニアを誘った。
ジュニアは高校を中退し、お笑いの世界に飛び込んだ。
ただ、これもあくまで個人的な体験であり、人それぞれだから、「やりたいようにしたら」と語っている。
「やりたいようにしたら」って。やりたいようにしてたら、なんかあるよってくらいですかね。
僕は実際こんな風に引きこもってたけど、僕みたいな引きこもり方してたのは僕だけやし、ほんまにそれぞれ違いますからね。色んな「引きこもり型」というか原因が色々あるでしょうからね。一概には言えないですね。
山田ルイ53世(髭男爵)
ルネッサーンスでお馴染み、髭男爵の山田ルイ53世も、中学生時代に不登校になり、ひきこもりになった芸人の一人。
中学受験で入った有名な私立中学、朝は5時に起床し、自宅から満員電車で毎朝2時間の通学。
夜は遅くまで勉強、サッカー部のレギュラーでもあり、優等生でなければいけないという強迫観念もあった。そして、気づかないうちに心身ともにへとへとに。
それでも、先生や親に褒められることが嬉しくて頑張った。その張り詰めた糸が途切れ、不登校に。
その後、6年間のひきこもり生活を送り、あるとき、同年代の成人式のニュースを見たことに焦り、猛勉強をして愛媛大学に入学。
ただ、生きる意味が見出せず、結局中退し、夜逃げ同然で芸人の世界に入った。
引きこもって絶望的に人生が閉じてしまった時、もう死ぬくらいしか選択肢がないと思ったことはあります。でも、生きることを諦めそうになったら、人生のハードルを下げてください。理想とする自分を諦めてあげることも大事かと思います。
(中略)
普通の人間がただ生きていても、責められない社会であってほしいと思います。我々にはキラキラして生きる義務などないと思うのです。
徳井義実(チュートリアル)
お笑いコンビチュートリアルの徳井義実は、小学5年生の頃、友人とのトラブルがきっかけで無視されるようになり、半年ほど不登校だった時期がある。
普段は鬼のように怖かった父親が、そのときだけは「無理せんでええ」と言ってくれたことが大きかった。
気が楽になった徳井は、家でラジコンばかり作り、ラジコンの腕が上がったと言う。
その後、このままではアカン、と思い、小学校6年生から学校に行くようになった。
なだぎ武
お笑い芸人のなだぎ武も、小中学校時代にいじめられたことが原因で不登校になった。
当時、学校でいじめられながらも、心のなかでツッコミを入れ、「こいつら幼いなぁ」と思うことでやり過ごした。
自分がいじめられていると思うと、ますます卑屈になっていくので、暗くならないように、と無意識のうちに心がけた。
とにかく義務教育までは行こう、と踏ん張ってきたものの、緊張の糸がぷつんと切れ、中学卒業後、ひきこもりになる。
スイッチがオンからオフになった。
そのとき、家族はよい意味で放置し、なだぎと距離を置いてくれた。また「部屋」という居場所をつくってくれたことで安心できたことも大きかった。
安心してひきこもることのできた3年間を経て、「このままではアカンな」と思ったなだぎ武は、18歳のときにひきこもり生活から脱出する。
無理はたたってくるので、逃げたかったら逃げたらいいし、それがカッコ悪いことだとも思わないです。
自分の人生で、自分が主役なんですから、「逃げたら終わりだ」みたいに焦らなくてもいいんですよ。
あ、中学3年の卒業式のときに、僕一人だけめっちゃ泣いていたんです。ハッハッハ。
他のみんなは高校に進学して学生生活が続くけど、僕は学生生活が終わりだったので、感極まって(笑)。